つれづれ、散歩は歩いて美しく散る。

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六年ぶりに老師に会うために某所に行く。駅前があまりに大都会(シティー化)していたので驚愕した。

寺に着くと先客がいたので二時間ほど歩行行を敢行。痛みに似た寒さも気づけば晴れてきて、気持ちだけは晴れやかになった。しかし私の足は少しばかり悲鳴をあげたが。

 

寺に再度訪問し先客もいなくなってたが、老師は戸の鍵を閉め。今日は終いだとさとり、私は持参した手土産を賽銭箱の横に置き静かにそこを後にした。

 

また、来週来ようと。

 

帰りの炙りチャーシューがうまかった。

 

 

 

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明日がまた来る。

合掌。

 

 

時は乱世、新しい時代が始まり民衆は新たな教えを待ち望んでいた・・・。

 

{登場人物}

高僧一恵上人 経典「都消耗経」

本山を飛び出し土佐国で布教流布。

 

禅僧圭海 経典「伊場殺大教典絵巻」

寺を追い出され全国行脚。鉄砲衆を引き連れ炊き出しなど布教。

 

鎌倉の僧 龍月 経典「煩悩鍛錬経」 

本山に破門され鎌倉で居をかまえる。

 

寺子屋 庵主 府亜 念仏経「捨て経」

 

布教僧 素間長老 経典「仏迷路経」

 

 

 

社会人をしていると必ず時間ドロボーに出会うから得積みと思っている。

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ブログもちょっと書く間が出来てしまいましたね。

 

私は、芸術的表現が好きなので、あっちいったり、こっちいったりして悶々とするのですがそれも楽しみつつ。

 

圧倒的に面白そうで継続出来そうな方を選びます。

 

私は、日本語の言葉の表現力が好きで、このフラストレーションを解消と感受の復興のために短歌を所望しているのですが、何せ継続できない。それほど、好きではないのかもしれないし、すてきな言葉の表現をして、その一文に賭けることが出来ないのだろう。

 

その他で、ブロガーの記事を読むのは好きで、自己啓発や言葉の表現も携えているから、一石二鳥です。

 

 

 

ここから、本題で、社会に出て仕事仲間ができ、「あふたーふぁいぶ」や休日を共にすること出来事に遭遇すると思いますが。

 

そんな時、うあ~~この「時間ドロボー」と叫びたくなる時が私は多々あります。別にヒッキーではないですが、大げさに言うと「己は汝の寿命のロウソクを使いおって」と悔恨したりw

 

そんな時に私は今世の得積み或いは来世、はたまた、末代の功徳を積んでいると考えています。

 

 


All about Lily Chou-Chou OST - Arabesque(アラベスク)

 

 

またあすが来る。

 

思考が現実にならないので流れに任せながら起動修正。ハードルを下げる訓練。

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私は、占いは当てにいくタイプなので、思考の現実化も起動修正しながら行います。

 

ネガ思考で最悪の状態を意識してしまうタイプなんですが、以外にうまくいきます。

 

 

不幸は蜜の味と言いますが、武勇伝として語り継がれたりします。

 

 

生きること自体が財産になりつつあります。

 

 

どんな働きかたでもいいんです。ストレスフリーも辛いぞ。人生にスパイスを。

 


Home - Sean Lennon

 

 

 

 

 

 

人は、人生は、いるだけで、「存在しているだけで意味がある」

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「人生に生きる意味がないと言うなら、サムシングがないとゆうことだよ」

 

人生に生きる意味なんてない。ただ、存在しているだけ。それは、単細胞生物だよ。

人生の問いを無視して、ただ、流れていくものと捉えて、意味がないなんて、よく矛盾したことが言えたもんだ。

あなたが、行動して、生活していることに、もう、意味があって。

 

意味があることをそんな大げさに捉えなくてもいい。

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明日がまた来る。

もう、自由を求めるのはやめよう。

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自由と叫んでも、なんかしらのリスクがある。人としてや経済的価値観を捨てることに躊躇なければ良いし、ミニマリストのように断捨離して禅僧生活も小気味よいですから。

ただ、自由と言いながら、何かに操られているのではないかと勘ぐる訳で、読者の期待に応えるべく、「死ににいくスタイル」を自らに課す。

 

 

私は、大人になるにつれて感受性が失われていく恐怖に駆られていた。段々、感性が凝り固まっていき、何も感じない生物になる恐怖に。

 

それは、とてつもなく恐いことで人としてオワコンなのではないか。

 

 

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明日がまた来る。